烏山島ダムと八田興一
台湾に八田興一の在りし日を知らぬは日本の人ばかりなり
去る3月の28日、修学院の台湾研修で台北に行きました。
本研修の事や台北の事は、他の方や、私も去年紹介しています。
今回は、研修終了後、都合のついた3人で烏山島ダムに行きましたので、写真を貼ってご紹介します。
八田興一技師の功績の説明はここでは省きます。
ホテルからタクシーで台北駅へ向かいます。
途中警察署の横を通りましたが、スクータの白バイがたくさん居ました。
台北駅に着き、地下のコンコースへ・・・
通路にキャバクラの広告、、かと思いきや、なんと整形手術をする病院の広告でした。
今回は台中の南、嘉義まで高鐵(新幹線)を利用し、嘉義駅からはタクシーで烏山頭ダムに向かいます。
ほぼ真っ直ぐ南下するので、博多から鹿児島に行くようなものでしょうか。
一時間半後に嘉義駅に到着です。
台北駅は地下ですが、ここ嘉義駅は高架駅です。
1階に降りて目にする風景は、7ELEVENとかモスバーガーとか・・
ここは、台湾です。
タクシーで高速を使って烏山頭ダムへ向かいます。
運転手さんに「昼飯食いたい」みたいな事言うと、サービスエリアに連れて行ってくれました。
一緒に食べるかと思いきや、運転手さんは駐車場で待っているそうです。
いよいよ到着です。
烏山頭ダムと八田興一記念公園全体の入園ゲートで入園料を払います。
タクシーは公園の中あっちこっち移動して私達を連れて行ってくれました。
先ず堤防に登って見渡すと、島や岬等が結構あります。
次に「八田興一記念堂」と言う小さな展示館です。
ここでタクシーを降りますが、この公園の辺りは帰りのタクシーを拾えるような雰囲気が感じられない場所です。
運転手さんに、迎えに来てくれる?って聞くと、予約があるから4時(半だったかな)なら良いとのこと。
どうしようと相談しましたが、時間に追われるよりは良いと言うことでお迎えをお願いしました。
「八田興一記念堂」からは、公園内を歩き回ります。
とにかく広いです。
歩いていると「竣工碑」が見えて来ました。
給水所もあります。
工事の時に使用した機関車も展示してあります。
ありました、ありました、八田興一技師のお墓と銅像です。
戦後蒋介石が台湾に来たときに住民たちが壊されないように隠したといわれる銅像です。
銅像の下の堤防道路から見るとダムの広さが感じられます。
途中に河津櫻がたくさん植えられていました。
プレートには李登輝氏による書があります。
今度は昨年完成したばかりの「八田興一記念公園」に向かいます。
途中の廃屋んは「行政府農業委員會漁業署」と書いてありました。
水力発電所もあります。
「八田興一記念区」は、まだまだずっと先、この長い道路の突き当たりです。
この通りも櫻の植樹が行われています。
やっと入り口に到着です。
向こうにテニスコートと田中&市川邸(長屋)と八田邸が見えます。
足元を良く見ると、ここは試験室の跡でした。
展示室を覗いて見ます。
烏山頭ダム工事の大きさが垣間見えます。
烏山頭ダムの潅漑区域の広さに唖然とします。
当時の宿舎群の配置図画ありましたが、先ほどのテニスコートも載っています。
八田邸です。
田中&市川邸(長屋)です。
休憩所でタクシーを待つことにしますが、ここには太陽丸の写真がありました。
1942年4月陸軍省は八田興一を南方開発派遣要員に任命した。
彼をはじめとする1360名の開発要員・乗組員を載せた太陽丸は同年5月5日出発、同年5月8日長崎県男女群島付近で米艦の雷撃を受け沈没。
八田興一を含む817名は殉職しました。
帰りは運転手さん飛ばす飛ばす・・・
何で?と思ったら、〇時〇分の高鐵があるので間に合うようにと言うことでした。
優しい運転手さんでした。
この、八田興一技師の事を、どれだけの日本人が知っているのでしょう?
今回の台北を基点とする訪問ルートは、日本の技術万歳の高鐵と言い、日本の中学・高校生の修学旅行には最適ではないでしょうか?
韓国など行かずに、台北-烏山頭ダム・八田興一記念公園に行って、日本の誇りを感じて欲しいものです。
目覚めよ日本人!と思う方→