■水になりたい
(水)
器にはしたがひながらいはがねもとほすは水のちからなりけれ
この歌は、以前にも引用した明治大帝の御製です。
解釈はいろいろあろうと思いますが、おおよそ以下の様な意で大異は無いと考えています。
・水はそれを容れる器物の形に従って、どんな歪な形にもなるもので、極めて無意思、従順、軟弱な物に見えますが、一面には、岩の根をも掘り砕く偉大な力があるものです。
私は最近この歌に嵌っています。
昨年は、おそらくこの歌を読まれた明治大帝でさえ想像し得なかった「水」の力の強大さを目の当たりにしました。
しかし、この歌は、日本人の性質を歌っているように思います。
耐えて、耐えて、耐えて、、、、、しかし、、こと国體の危機に直面すれば、如何なる大敵であろうと国體を守らんが為に戦う。
その力は侮れる物ではないと言う事ではないでしょうか?
日本人のDNAには「大和魂(ごころ)」が潜伏していると思います。
その大和魂には、世界一優れていると言われる「中庸」と言うバランス感覚が備わっています。
ここで日本人と言うのは、何度も言って来ました様に「日本国籍を有する」と言う意味ではありません。
そのDNAに「大和魂(ごころ)」が潜伏している人の事です。
「大和魂(ごころ)」には、国體の危機に対し、同じ「大和魂」を持つもの同志は強く結合する特質も持ち合わせていると思います。
これが「公」であり「忠」と呼ばれるものではないでしょうか?
そして、「大和魂(ごころ)」は「大和魂(だましい)」に変わるのではないでしょうか。
元寇、日清戦争、日露戦争、そして大東亜戦争・・・・
歴史はそれを幾度も証明しているように思います。
現在の日本は、日本人は、もう十分に器には従って来たのではないでしょうか?
いい加減、はがねを通す水となるべき時に来たのではないでしょうか?
水の一滴は大した力にはなりませんが、これが大量に結合した時には強大な力となるはずです。
私は、同じ志をもつ方々と共に「いはがねもとほす」水の一滴になりたいと思います。
(トノゴジラ)
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