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「鹿屋航空基地 資料館」で特攻を思う

 鹿児島県の大隅半島、鹿屋市に「海上自衛隊 鹿屋航空基地」がある。
 この基地内に立派な「資料館」がある。  参考→展示物一覧
 この地は、日本海軍の飛行場があった場所であり、個人的には父が海軍通信兵として終戦を迎えた地でもある。
 そして陸軍の「知覧」と並ぶ、人数ではそれを上回る「神風特別攻撃隊」の基地でもあった。

 海軍記念日の5月27日、その「海上自衛隊 鹿屋航空基地 資料館」を訪れた。
 隊員宿舎を含む基地の門を入ると、左手に『2式大挺』が鎮座している。

   

 右手に基地のゲートがあり、資料館は左手にある。
 駐車場から、沢山の航空機が展示してある広場を見つつ資料館に向かう。

   

 資料館に入ると、正面に大きなステンドグラスがある
 平山郁夫氏による「夕映えの桜島」を元に作成されたそうである。
 平山氏のご兄弟が自衛官という繋がりがあるそうだ。
 特攻に出撃する隊員が、最後に見る風景でもある。

   

 ステンドグラスを見上げた後、右手に受付があり、若い男女の自衛官が案内をしている。
 入館は無料、受付で住所氏名を書くだけである。


 館内は撮影禁止であるが、このステンドグラスと、後に紹介する「零戦」だけは撮影可能だ。


 順路は、まず2階からとなっており、こちらに、海軍関係と特攻関係資料が展示してある。 
 「広瀬中佐」「佐久間艦長」の資料もある。
 何故か、元俳優の「西村晃少尉」の写真もあった。
 中央の大部屋に静かに展示されているのは、「零戦52型」である。沿岸で引き上げられた2機をを合体し、隊員と三菱重工技術者のてによって復元された機体である。
 
  

  ここでは、操縦席を直接覗くことが出来た。 狭い!

   

  この照準機とプロペラの向こうにどんな景色を見たのだろう?
  左右の黒いノブは20mm機関砲の引き金か?
  
  

  
  この操縦桿を握り、この計器類を最後に見たのは、何時何処だったのだろう。


  
  

  1階には現在の海上自衛隊の説明がされ、本物のP2-Jやヘリのカットモデル等も置いてあるが、やはり何時も乗る旅客機等と違い、軍用機の中は、機能的であり、必要最小限であり、無骨である。

  海上自衛官のみなさん!  毎日、ご苦労様です。

 最後になってしまったが、今回は、偶然にバスで着いた団体と一緒になったので、入館直後に短い説明ビデオを見せて頂き、元予科練習生の説明員の方(81才との事)の話を聞くことが出来た。 
 録音したわけでは無いので、正確ではない上に、順序が違ったり、抜け等も多いとは思うが、以下に内容を紹介したい。


_/_/_/▼説明員の方の話より引用▼_/_/_/_/_/


 ここ鹿屋は、特攻隊が飛び立っていった基地であります。
 知覧は陸軍、鹿屋は海軍であります。
 800名以上(具体的な数字を上げておられたが失念-他の資料では900名以上の物もある)がここから飛び立ち戻ってきませんでした。
 あれから62年たった今、多くの方にここに訪れて頂き、彼らも喜んでいると思います。
 鹿屋の飛行場は、近くに海軍廠があったこともあり、米軍の急降下爆撃を受けボロボロにされました。
 その後近くに壕を造り、特攻命令を出す士官達はその中から命令していました。
 隊員達は、5Km程離れた、児童が疎開していた小学校の教室を2つばかり使い、机を3つ並べて、その上に毛布を敷いて寝ました。
 まだ、17,18才から22,3才の若者達であります。
 「まだ、死にたくない」
 「もう一度、田舎に帰りお母さんの味噌汁を飲んでから死にたい」
 そんな、話しがされました。
 出撃の朝、そこには人が変わったように、スッキリとした顔の若者がいました。
 爆音を轟かせ待つ愛機に乗り込んだ、彼らは白い歯を見せていました。
 静かにですが、笑っていたのであります。
 
 そして、出撃をみんなが見送ります。
 私も何度も見送りました。
 海軍廠に「女子挺身隊」として作業をしていた、高等女学院4年生の乙女達も、何回か見送りました。
 ゼロ戦の場合、通常130~150m程で離陸しますが、250Kg後には500Kgの爆弾を抱えた彼らの機は、蛇行しつつ300m以上の滑走の後にようやく離陸していきました。
 中には30mも上がったところで、失速し滑走路に叩き付けられる者もおります。
 そんな様子を見ながらも、彼らは飛び立って行きました。
 離陸すると、すぐに桜島が見えます。
 この桜島を見納めに、開聞岳の上を行く頃にようやく1500mの高度に達し、その後島伝いに沖縄方面に向かいます。
 
 隊員は、戦艦は「セ」空母は「ク」そして、突撃は「タ」の暗号電を打つよう命令されていました。
「我、空母に、突撃す」は「クタ」であります。
「我、戦艦に、突撃す」は「セタ」であります。
 しかし、「おかあさん、さようなら」と打電する者もありました。


 母を思いながらも、家族の為、祖国の為にと、最後は突っ込んで行ったのです。


_/_/_/▲_引用ここまで▲_/_/_/_/_/


 私は、特攻作戦は、その時は究極の選択による手段であり避けられなかったのだろうと思う。
 しかし、命令とはいえ、私に出来るだろうか?
 これは、未だに答えは見えない。
 『俺にも出来る』と思いたい気持ちはある。
 しかし、
 軽々しく憧れたり、美化したり、賛美したり、ただ悲惨だ、可愛そうだと嘆くだけだったり、そんな軽率な想いは、実際に散った方々に対して大変失礼な事では無いのかと思う。
 出撃直前で終戦になった方や、機の故障で生き延びた方々の話も、見聞きしたが、何より、実際に散った方々は「死して語らず」であり、誰もその直前の気持ち等、話しすら聴けないのである。
 
 彼らの最後の気持ちなど到底察することすら出来ないのだが、私の現時点での気持ちは、


『今生きる我々には想像もつかない葛藤や戦慄の中で、
 最後の思いは、
 やはり家族が一日でも生き延びるなら、
 その住む祖国が残るなら、
 自分の死は、無駄にならない!と、思い込むしか道がなかった。
 自分自身に、日本人として最後の誇りを持たせると共に、残る家族に肩身の狭い思いをさせたくない。』


 とても書き表せないが、そのような思いがあったのでは無いかと思うようになった。
 一言で表せぬかと考えてみたが、、、、あろうハズもない。
 ただ、笑顔というのを聞いて、もしやと思う言葉が一つだけ浮かんだ。
 彼らが大切に思ったのは「往生際」ではないかと。
 昔からあり、そして恐らく、外国人には理解できない、深い意味をもつ言葉だ。
 特攻とは、命を懸けた、敵と、そして己との戦いだったのかも知れない。

 そして、私の中に、揺らがぬ気持ちがある。
 命を捨てて突っ込んで散った特攻隊員に対する、敬意と感謝の念である。
 最後の思いは計り知れないけれども、彼らが、命に代えて日本を残してくれたのは事実であり、それに対する、敬意と感謝の気持ちは揺らぐ事は無い。
 そして、命をかけて戦った方々を、軽んじたり、挙げ句に政争の具に使う等の輩の存在は、私には到底許すことは出来ない。

 命の大切さ、重さを一番良く知っているのは、恐らく彼らだと思う。
 

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靖国・近代の戦い | コメント(17) | トラックバック(1)2007/05/28(月)14:46

コメント

海軍航空隊の戦いは、生きて帰ることを前提としたものですら、かなりハイリスクでしたから、そういう意味では、特攻と言うのも大差ないものなのかも知れません。
いったん出撃して、被弾した後で、敵艦に体当たりを狙った者も多いわけですから。
とはいえ、出撃前から死を前提とするとなると、これはやはり当事者にしかその腹の内は容易に理解し得ないものでしょうね。

2007/05/28(月)21:14| URL | DUCE #- [ 編集]

>「まだ、死にたくない」
 「もう一度、田舎に帰りお母さんの味噌汁を飲んでから死にたい」

翌朝、出撃時には凛とした表情の若い兵士となり、出撃に馳せ参じる・・・・・・・・
もう・・・・・・何も言えません。
言えることは・・・・・
「ありがとうございます!」

この方々の存在がなければ、今の日本は存在しなかったと思います。

2007/05/28(月)22:09| URL | ☆君の名は?☆ #cMnBD31A [ 編集]

連投にて失礼します。

2007/05/28(月)22:09のコメントは、
お竜でございます。
誠に申し訳ございません!!

2007/05/28(月)22:11| URL | お竜 #cMnBD31A [ 編集]

私めも・・

ここには、是非見学に行きたいです。
>左手に『2式大挺』が鎮座している。・・・
こ、これは必見ですね!!!!!

2007/05/29(火)09:56| URL | エセ男爵 #r3GBGjCs [ 編集]

>DUCEさん

コメントありがとうございます。

>海軍航空隊の戦いは、生きて帰ることを前提としたものですら、かなりハイリスクでしたから、そういう意味では、特攻と言うのも大差ないものなのかも知れません。
いったん出撃して、被弾した後で、敵艦に体当たりを狙った者も多いわけですから。
とはいえ、出撃前から死を前提とするとなると、これはやはり当事者にしかその腹の内は容易に理解し得ないものでしょうね。
・陸軍の突貫も同じでが、勝てば生き残れる可能性があるとはいいながら、ぞの可能性とは幾ばくか?
 一方、特攻は死ねの命令ですが、機の故障等で不時着などして生き残る可能性も無くはないですが(爆弾抱えていますしね)突貫とその可能性を比べてもきっと意味がないのでしょうね。
 特攻命令から何日も待たされる人や、翌日の人など様々ですしね、、、やはり、推測すら難しい・・・

2007/05/29(火)11:49| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

>お竜さん

コメントありがとうございます。

>もう・・・・・・何も言えません。
・一晩で何が起こったのか。
 他の生存者の方々の日記、手記等にもこの一夜での変貌は出てきますね。
 覚悟を決めた人間の凄さでしょうか?

>言えることは・・・・・
「ありがとうございます!」
>この方々の存在がなければ、今の日本は存在しなかったと思います。
・そうですね。
 彼らの最後の気持ちは推量すら出来ませんが、敬意と感謝の念は揺るがない物だと思います。

>お竜でございます。
 誠に申し訳ございません!!
・誤ることは無いですが、お竜さんの熱い気持ちが表れてますね。

2007/05/29(火)12:01| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

>男爵さま

コメントありがとうございます。

>ここには、是非見学に行きたいです。
>左手に『2式大挺』が鎮座している。・・・
こ、これは必見ですね!!!!!
・いや、なかなかのものですよ。
 実は、時間の関係で写真を撮っていません。
 2式大挺を写した方がのブログがありました。
http://blog.so-net.ne.jp/1901rjtt-to-roah/2006-10-09-4 
 写真だけでなく、是非、実物をご覧になって下さい。
 九州においでの節は、、、ご案内致します(笑)


2007/05/29(火)13:04| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

特攻隊を取り上げるのは、軍国教育ではありませんが・・・

 
 「広島への修学旅行が、なくなる!」
 卒業生達が、署名を集めて反対をしたという学校が、あったそうです!
 実際に旅行に行くのは、現役の生徒なのだから好きな所に行かせて上げては、いけないのでしょうか?
 「鼠国なんて何時だって行ける!」
 でも鼠国は、一人では行けませんよ!
 原爆ドームや基地なら大人になってからも一人で行く事も可能ですが・・・
 原爆被害者の姿を見て「気持ち悪い~!」と笑っていた女の子が、後で涙を流して見せるという例もありますから・・・
 特攻帰りの先生と若い先生が、酒場で喧嘩をして年輩の方の先生が、亡くなった事件は、知っていますか?

2007/05/29(火)16:17| URL | 鵺娘 #/9u.keZw [ 編集]

>鵺娘さん

コメントありがとうございます。

>特攻隊を取り上げるのは、軍国教育ではありませんが・・・
・知覧なんかで見た後の反応は真っ二つですね。
 一つの事実ですが、時の流れにいろいろな物が消え、くっつき、反応も変わる。

>「広島への修学旅行が、なくなる!」
 卒業生達が、署名を集めて反対をしたという学校が、あったそうです!
 実際に旅行に行くのは、現役の生徒なのだから好きな所に行かせて上げては、いけないのでしょうか?
・良いと思います。
 鵺姫は思い出したくも無いでしょうが、何処に行こうと大人になれば唯の思い出です。

>「鼠国なんて何時だって行ける!」
 でも鼠国は、一人では行けませんよ!
 原爆ドームや基地なら大人になってからも一人で行く事も可能ですが・・・
・確かに!鼠やスタジオは一人で行く勇気は出ませんねぇ。

>原爆被害者の姿を見て「気持ち悪い~!」と笑っていた女の子が、後で涙を流して見せるという例もありますから・・・
・どうせ、その連中は、良くも悪くも感銘を受ける様な事は無いのでしょうね。
 
>特攻帰りの先生と若い先生が、酒場で喧嘩をして年輩の方の先生が、亡くなった事件は、知っていますか?
・いや、知らない。。。と思います。
 何時の事でしょう?
 現代なら、特攻帰りはもう老人ですよね。

2007/05/29(火)18:51| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

私は知覧の特攻記念館に行ったことがあります。
あの記念館に入るまでは普通に記念館の見学で行く感覚で行ったのですが・・・入ってしばらくしてから展示物を見て歩くうちに自然と涙があふれてきました。
そこには若くして国の運命、親や兄弟、奥さんや子供の運命を一身に背負い命を賭けて行った人々の思いがたくさん詰まっていました。このような若者がどうして戦陣に散っていかなければいけなかったのかを考えるというよりも、この方達に尋ねてみたかった。もし、生きて終戦を迎えたならばどのような国を築いていこうと思っていらっしゃいますか、と。この今の日本の現状を見るにつけ、特攻隊員の思いとは裏腹に、情けないくらい日本は落ちぶれてしまっていると感じずにはいられません。

2007/05/31(木)13:37| URL | かついち #JalddpaA [ 編集]

一言だけ。

堅苦しくとは言いませんが、
先人に対する感謝と尊敬の念を持てなくなったらおしまいだと思います。
その表し方は様々でしょうが…

2007/06/01(金)10:42| URL | 刀舟 #cMnBD31A [ 編集]

>かついちさん

コメントありがとうございます。

>私は知覧の特攻記念館に行ったことがあります。
あの記念館に入るまでは普通に記念館の見学で行く感覚で行ったのですが・・・入ってしばらくしてから展示物を見て歩くうちに自然と涙があふれてきました。
そこには若くして国の運命、親や兄弟、奥さんや子供の運命を一身に背負い命を賭けて行った人々の思いがたくさん詰まっていました。
・そうですね、あれだけの物を読んで行くと、本当にひとくくりに出来ない思いや、みんな同じ思いや、いろいろな物が詰まっているように感じますね。

>このような若者がどうして戦陣に散っていかなければいけなかったのかを考えるというよりも、この方達に尋ねてみたかった。もし、生きて終戦を迎えたならばどのような国を築いていこうと思っていらっしゃいますか、と。
・う~ん。なるほどどんな国になっていて欲しかったのか?私も、これだけは本人に聞いてみたいと思ったことがありますが、叶う物では無いですね。

>この今の日本の現状を見るにつけ、特攻隊員の思いとは裏腹に、情けないくらい日本は落ちぶれてしまっていると感じずにはいられません。
・少なくとも、こんな、国として気概のない物になっている等彼らに見せられた物ではありません。
 何時かは解りませんが、必ず川を渡り彼らと会う日が来るわけです。その時に、せめて安心して頂ける報告がしたい物です。

2007/06/02(土)10:43| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

>刀舟さん

コメントありがとうございます。

>堅苦しくとは言いませんが、
先人に対する感謝と尊敬の念を持てなくなったらおしまいだと思います。
・仰るとおりですよね。
 私なんか40年以上、そう言う感覚が欠落していた非国民ですからね。今からでも遅くないと言いたい、思いたい。

>その表し方は様々でしょうが…
・そうですね。
 何か決まった行動すれば良いという物では無いでしょう。
 私は、残してくれた国は健在ですとの思いもあり国旗の掲揚、また機会があれば、靖國神社、護國神社の参拝等が、最近やっと自然に出来るようになりました。

2007/06/02(土)10:56| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

この冬、知覧を訪れました。
> 軽々しく憧れたり、美化したり、賛美したり、ただ悲惨だ、可愛そうだと嘆くだけだったり、そんな軽率な想いは、実際に散った方々に対して大変失礼な事では無いのかと思う

おっしゃるとおりのことを感じました。
わたしにできることは、頭をたれて感謝することだけでした。涙なくしては見られないものなのですが、涙を流すことさえ、軽軽しくて申し訳ない、と思ってしまうような・・。

当時の若者の、覚悟と理性と国を思う気持ちに圧倒されます。
決して、巷で流布されているような、洗脳された、狂信的な集団ではなかったこともわかります。

2007/06/03(日)00:05| URL | ぴちょ #- [ 編集]

>ぴちょさん

コメントありがとうございます。

>この冬、知覧を訪れました。
・そうですか。
 あそこに並んでいる写真と言葉は、時の流れの中で生きそして死んでいった方々の思いを表していますね。

>おっしゃるとおりのことを感じました。
わたしにできることは、頭をたれて感謝することだけでした。涙なくしては見られないものなのですが、涙を流すことさえ、軽軽しくて申し訳ない、と思ってしまうような・・。
・ぴちょさんも、そう感じられましたか。
 目頭が熱くなり、涙腺も緩みますが、本当にいろいろなことが脳裏に突き刺さります。

>当時の若者の、覚悟と理性と国を思う気持ちに圧倒されます。
・そうですね。
 彼らの残そうとした祖国はこれで良いのかと考えさせられます。

>決して、巷で流布されているような、洗脳された、狂信的な集団ではなかったこともわかります。
・そうですね。ひとりひとりの言葉を見ていると、覚悟が感じられます。狂信者には無い物だと思います。

2007/06/03(日)13:02| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

TBありがとうございました。
tonoさんが書かれているように、

>自分の死は、無駄にならない!と、思い込むしか道がなかった。

のだと私も思います。それは戦争の勝敗だけでなく、戦後の日本にまで思いを馳せていたのだと思います。遺る者たちも勇気や誇りを失って欲しくないと、手本になろうとしたのではないでしょうか。
戦果や作戦の是非がどうであろうと、この方々の思いを無駄にしてはいけないと思います。

2007/06/18(月)20:35| URL | milesta #S4B2tY/g [ 編集]

>milesta さん

コメントありがとうございます。

TBありがとうございます。
>自分の死は、無駄にならない!と、思い込むしか道がなかった。

のだと私も思います。それは戦争の勝敗だけでなく、戦後の日本にまで思いを馳せていたのだと思います。遺る者たちも勇気や誇りを失って欲しくないと、手本になろうとしたのではないでしょうか。
・何しろ散った方々に聞くことは永遠に出来ないし、現実にその環境に我が身を置くことは不可能ですよね。
 ただ、自分に大儀を置くことが恐怖を払い勇気を与えたのだと想像します。

>戦果や作戦の是非がどうであろうと、この方々の思いを無駄にしてはいけないと思います。
・そうですよね。
 命を懸けたメッセージを無駄には出来ませんよね。
 彼らに恥ずかしい生き方をしていないか、最近悩む所です。

2007/06/18(月)21:59| URL | tono #vFsRzAws [ 編集]

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