日本の漢字文化を廃らせてはいけないと思う
私は情けない事に漢字があまり書けない。
パソコン等を使用すれば、辞書が豊富で、相当にややこしい漢字も使える訳だが、読むのに比べて圧倒的に書けない。
しかし、当て字等、漢字を使った遊びは好きである。
一つの文字に、意味があり、物によっては、いくつもの意味がある。
同様に、読み方(発音)が幾つもある。
世界中探したって、なかなか無いじゃないか。
_/_/_/▼SankeiWebより引用▼_/_/_/_/_/
◆【主張】創作四字熟語 豊かな漢字文化の再興を (産経 06/12/24)
師走に入って、漢字にまつわる2つのニュースが目に留まった。1つは、日本漢字能力検定協会による恒例の世相を表す漢字が今年は「命」に決まったというものである。悠仁親王殿下のご誕生や、いじめ自殺多発など、明暗取り交ぜて、命について考えることの多かった1年だった。
もう1つは、住友生命が公募した今年の世相を映す「創作四字熟語」である。
「虚業無常」(諸行無常)、「再就団塊」(最終段階)、「産無人科」(産婦人科)、「少子恒例」(少子高齢)など、実にわさびの効いた庶民の批判精神があふれていて、思わずにやりとさせられた。
このもじりの滑稽(こっけい)味から連想されるものに江戸期の狂歌師のペンネームが挙げられる。
朱楽菅江(あけらかんこう)、子子孫彦(このこのまごひこ)、釈氏定規(しゃくしじょうぎ)、酒上不埒(さけのうえのふらち)、智恵内子(ちえのないし)、昼寐興兼(ひるねのおきかね)…など、名を聞くだに噴き出してしまいそうになる。
日本人が漢字を取り入れて千数百年、自家薬籠(やくろう)中のものとして自在に操ってきた漢字文化の一側面が、今に脈々と流れ来ていることに一種の感慨を抱かずにいられない。
仮名やローマ字を表音文字というのに対して、漢字は表意文字といわれるが、意味だけでなく字形と字音とを兼ねた語を表す表記符号だ。
だから、今年の世相を表す文字として「命」という漢字が強い輪郭をもって印象づけられ、記憶されるのである。ちなみに阪神大震災やサリン事件のあった平成7年は「震」の字が選ばれている。
「少子恒例」のような文字遊びも、「しょうしこうれい」と、仮名で書いたのなら、なぜそこに滑稽味が生じ、なぜ笑い飛ばすような批判精神が盛れるのか誰もなかなか理解できないであろう。
漫才や落語のような話芸でも、そこに笑いを生じさせるのは、無意識的に音声を漢字に翻訳することで、言葉の二重性とそのアンバランスな取り合わせを認知するからだ。
思えば戦後の国語政策は国語を表すのになくてはならないその漢字を排斥する方向で進められたのは残念なことであった。豊かな漢字力があれば文字遊びも一層興隆し、漢字文化を底上げするであろう。
常用漢字の見直しに当たっては、思い切って戦後国語政策からの脱却を打ち出すようなかじの切り替えを期待したい。
_/_/_/▲_引用ここまで▲_/_/_/_/_/
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国旗・国歌・文化・伝統・教育・躾
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│2006/12/25(月)15:23