もうすぐ降伏文書調印の日
昭和20年8月15日、昭和天皇の玉音放送を拝しポツダム宣言の受諾により日本国民の戦いは終りました。
ポツダム宣言
同9月2日、戦艦ミズーリ艦上での降伏文書の調印により日本軍の戦いも終りました。
降伏文書
そして、連合国による占領を経て、昭和26年9月8日サンフランシスコで調印された日本と連合諸国との講和条約(『日本国との平和条約』)が発効し、まがりなりにも戦時占領状態が終わり独立を回復した昭和27年4月28日が終戦だと思っています。私が母の胎内に居た時です。
ミズーリ艦上での調印式、いろいろとエピソードがありますね。
・ミズーリの停泊位置は、マッカーサーの思いにより、ペリー提督のポーハタン号の停泊位置を意識して決定された。
・調印式に臨む日本全権団を迎える艦上には、小柄の日本人を威圧する為に身長6ft以上の水兵を選んで整列させた。

・ペリー以来100年の念願である日本制圧を記念すべく、艦橋には当時の星条旗のほか、ペリー提督の黒船が揚げていた31個の星が描かれた星条旗をわざわざワシントンから運んで掲げた。

・日本全権団の服装は、重光葵外相以下政府関係者は外交儀礼を尊び燕尾服にシルクハットの正装だが、梅津美治郎参謀総長以下の軍人は降伏は不名誉である故に礼装ではなく平服(戦闘服)であった。

そういえば、先日の加瀬英明先生の後援会で、この調印式に加瀬先生のご尊父である加瀬俊一氏が重光葵外相に随行していたと言うお話がありました。(写真右側の方です)

ご尊父加瀬俊一氏は大東亜戦争の開戦を防ごうと、東郷茂徳外務大臣の秘書官兼政務局6課(北米担当)課長として日米交渉を担当し必死に努力したにも拘らず、現在明らかになった事は、米国は水面下で開戦準備を進め日本側の誠心誠意の努力は蹂躙されていたのであり、無念であると述べられました。
因みに、
この東郷茂徳外務大臣は終戦時の鈴木内閣でも外務大臣を務めています。
そして、東郷茂徳外務大臣は改名していますが朝鮮人だったそうです。
日本人が朝鮮人を差別したと言うのは、どんな根拠に基づくのでしょうか?
先人の様々な苦悩の上に、現在の日本が存在し、私達は日本人として生きています。
思想はともかく、事実と先人達の苦悩は決して忘れてはならないと思います。
私は今、心底日本人に生まれて良かったと思っています。
だから、私を生んでくれた母そして父や先人達に感謝しています。
先人に感謝!と思う方→
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靖国・近代の戦い
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│2014/08/26(火)17:00
見送るも行くも別れを知りながら微笑むこころ誰か知るらむ
父の記憶と言っても、他界した父を思い出す話ではありません。
大正15年生まれで、今なお健在の父が、私のやっている活動などを少しづ知って、やっと最近ぽつぽつと話す戦争中の記憶の事です。
父は、高等小学校を出て、勉強して海軍通信学校に入団しました。
当時、海軍は「入団」、陸軍は「入営」と言ったそうです。
「あん時は、俺も一生懸命勉強したなぁ!」
と自慢しておりましたが(笑)、志願して海軍を目指す憂国の士!と思い、志願の理由を問うて見ました。
「そりゃぁ、お前、海軍の制服がかっこ良かったけん・・」(爆)
全く想定外の回答に、ソファから滑り落ちましたよ。
しかし、考えてみれば当時は軍の存在は当然であり、軍人は尊敬される時代です。
貧乏な家で育ち、当時それなりの給料と安定感のある海軍は、就職先としても憧れの的だった様です。
そして、父は海軍鹿屋航空基地で終戦を迎えました。
鹿屋は、あの有名な知覧よりも多くの特攻機が飛び立った基地です。
基本的には、知覧は陸軍、鹿屋は海軍の特攻基地と言う事のようです。
一度思い切って聞いた事があります。
「特攻隊って・・・どんなだった?」
父は、一瞬の間の後話してくれました。
「自分は穴倉の中が仕事場だから、いつも見送った訳じゃないが、あいつら出撃の前の晩は大騒ぎしよったなぁ。」
「で、出撃する時は、飛行機に源頼朝だかなんだかの弁天様の幟を立ててな、笑って行きよった。」
この、幟は、恐らく源頼朝や北条政子が戦いの前に戦勝祈願をしたと言う「旗上拚戝天」と描かれたものでは無いかと思われます。

父が私に嘘を言ってもしょうがないので、この辺りの事は事実だと思います。
「笑って行きよった・・・・」
事実であろうだけに、胸が詰まります。
最近、私の車に乗って買物に行きました。
「海の進軍」と言う軍歌がかかっていましたが、父はなつかしい!と言うと思いきや、
「この歌はなんという歌だ?聞いた事が無い!」
と言いました。
考えてみれば、当時の軍歌は、ある意味「銃後」の方が沢山聞いていたのかも知れません。
兵隊は、各々の基地や部隊、船等の中で歌い継がれた歌は知っていても、その他の軍歌を知る術が無かったのでしょう。
「愛国行進曲は無いのか?」
と言うのでかけると、口ずさんでいました。
「海ゆかばは?」
と言うので、これもかけましたが、
今度は口ずさむ事は無く、
「これを聞くと涙が出る・・」
と言ったきり黙ってしまいました。
父の様に、軍隊に居ながら、戦争で死なずに済んだ人間は、靖國神社や護国神社に祀られる英霊と違って、
「生き残ってしまった者」にしか解らない「何か!」を背負っているように思います。
だから「俺達が代わって日本を再興する」と言う思いがあったように思います。
それが、あの高度経済成長時代を呼んだのではないかとも思います。
情報の溢れる現代では、ややもすると「生き残ってしまった者」は悪者にされる様に感じる言動が目見に付きます。
そんな人達は「生き残ってしまった者」が、靖國神社に参拝するまでには、時間と勇気を必要とした事を知ってもらいたいと思います。
何と言っても、英霊の御霊の重さを、一番良く解っているのは「生き残ってしまった者」なのですから。
今年も、靖國神社、護国神社の「みたままつり」には献灯をしようと思っています。
目覚めよ日本人!と思う方→
靖国・近代の戦い
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│2012/05/25(金)14:16
昨、8月15日、靖国周辺はどうだったのでしょう?
詳しい情報を知りませんので、ご存知の方は教えて頂けるとありがたいです。
東京都の石原知事は、靖国神社参拝後報道陣に対し、首相と全閣僚が靖国神社に参拝しない方針を示した事に「あいつら日本人じゃないんだ」と激しく批判したそうです。
http://bit.ly/pobmgW
私は、石原都知事については、オリンピック誘致の時の皇室に対する発言(即ち考え方)を未だ許せません。
しかし、それを除いては概ね日本の政治家であって欲しい人の一人です。
今回の発言は、日本人として至極当然の想いを口にしただけで、別に激しい非難でも何でもないと思います。
日本人と言うの言葉を、国籍では無く日本魂(やまとごころ)を持つ人間であると考えれば、事実を言っただけの事です。
違いますか?
何度でも言いますが、公僕の頂きたる内閣や官僚は、年二回の例大祭等は揃って公式参拝すべきでしょう。
これに、英霊の数が頭抜けて多い大東亜戦争の節目である8月15日も加える事に依存はありませんが、8月15日に拘るより毎日でも僅か数分の時間が許せば、参拝すれば良いのです。
その時は、一日本人として小泉方式で賽銭箱に小銭でも一向に構わないと思います。
昨日、私は福岡県護国神社の終戦記念際に参列して参りました。
11時より祭事が始まり、11時40分頃に祭事のみ終了。
戦没者追悼式のテレビ中継が始まる11時50分までの間に「玉音放送」が流されます。
テレビ中継が始まると、式典に合わせ、国歌斉唱、黙祷、天皇陛下のお言葉拝聴を行います。
その後、宮司の挨拶があり、祭事・式典は滞りなく厳かに終了いたしました。
途中、祭殿前で民族派の団体が「国民儀礼」を行っていましたが、粛々と行われたようで静かな物でした。
福岡の場合、護国神社の斜め向かいに武道館があり、こちらは自治体主催で追悼式が行われます。
追悼式に参列される方も、一旦護国神社に参拝されて会場に向かうという姿が多く見られます。
8月15日は、このようにあって欲しいと思います。
靖国神社でも、一番うるさいのが「蝉の声」である8月15日を願ってやみません。
(トノゴジラ)
靖国・近代の戦い
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│2011/08/16(火)12:27
作詞:代田銀太郎、
作曲:伊藤正康、
歌唱:渡辺はま子・宇都美清
1)モンテンルパの夜は更けて
つのる思いにやるせない
遠い故郷しのびつつ
涙に曇る月影に
優しい母の夢を見る
2)燕はまたも来たけれど
恋し我が子はいつ帰る
母の心はひとすじに
南の空へ飛んでゆく
さだめは悲し呼子鳥(よぶこどり)
3)モンテンルパに朝が来りゃ
昇る心の太陽を
胸に抱いて今日もまた
強く生きよう倒れまい
日本の土を踏むまでは
軍歌・昭和歌謡集にあったこの歌を聞くと、初めてのはずなのに何か私の記憶にあるような気がしていました。
この歌が大ヒットしたのは昭和27年。
そういえば、先月クモ膜下出血で倒れ、現在リハビリ中の母が元気な頃「この歌知ってる?」と聞いたことがありました。
「そりゃあ、知ってるよ」という返事でした。
ひょっとしたら、私は昭和27年7月生まれですから、母の胎内でこの歌を聞いていたのかもしれません。
この歌の作詞・作曲は、共にB級戦犯死刑囚としてモンテンルパのニュービリビット刑務所に収監されていた元大尉の方です。
この歌を歌った渡辺はま子さんは、教誨師加賀尾秀忍氏らと協力して、当時のフィリピンのキリノ大統領の心を動かし、この刑務所に収監されていた方を日本に帰還させた功労者でもあります。
この逸話は長くなりまし、ネットで検索すればいくらでも出てきますので、ここでは割愛します。
聞いたことが無い方は、一度逸話を読んでから聞いてみてください。
目が曇ってしまうかもしれません。
戦争は悲劇を生んでしまいます。
しないに越した事はありません。
しかし、
どうしても、やらなくてはならない事があるのも、又戦争かもしれません。
そんな悲劇に陥った時には、それ以上の悲劇を防ぐためには・・・
絶対に負けてはいけない・・・・
そんなことを考えてしまいます。
靖国・近代の戦い
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│2010/07/08(木)17:09
表題を見て反応された方々には、何も言う事はありません。
青年日本の歌(又は昭和維新の歌)と言うのがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=kTDT_wmjBEk&feature=related
作詞・作曲は、昭和初期、帝国海軍中尉の三上卓に依るものだそうです。
三上中尉の思想は語れば長くなるので省きますが、私はこの歌の歌詞に共鳴します。
今の世を語っているのかと思えるからです。
ご存知の方も多いでしょうが、ご紹介します。
歌詞の解釈は、色々あるでしょうが、私が勝手に思った解釈を添えておきます。
全体の意としては、大きく相違は無いと思っています。
今に聞く昭和維新のこの歌に誰か魂(こころ)の共鳴(ともな)らむ
一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
【解釈】
その昔、楚の憂国詩人屈原が身を投げたという泪羅の淵(泪羅江)より憂国の魂が波を騒がせている。
巫山にかかる雲は風雲急を告げて乱れ飛ぶ。
世は乱れ、道理の通らぬ混濁の世となってしまっている。
故に、我ら正義の怒りは抑えきれず、義憤は燃えて血潮が湧き上がってくる。
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
権門:権力者、官権及びその組織の事。
社稷:社は土地の神、稷はきびで五穀の神、転じて一般に社稷は「国家」の意とされる。
【解釈】
権力者やその組織は、上にあって上の何たるかを知らず驕るばかりで、
この皇国を憂うる誠心(まごころ)が全く見えない。
財閥は莫大な富をもって力を誇示しているが、
我国を想う真心(純粋なまごころ)を持ってはいない。
三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
【解釈】
人は繁栄を謳歌して居るが国は亡国への道を進んでいる。
人々は国を見失い、国を思い道理を曲げた輩がは大手を振ってまかり通っている。
世界の歴史は治乱興亡を続け、めくるめく夢のようであり、
その姿は正に一局の碁を打っているかのようだ。
四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
【解釈】
昭和維新断行せんとする春の空は晴れやかで、
正義を以って契り、同志として結束した同志達が、
胸の内は、百万の兵を得たが如く必勝の思いで満ちている
いざ思いは咲き誇る桜の如く、散るは潔き桜の如く
五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
古びし死骸:形骸化し機能を失った社会機構、腐敗した世の中、権力者。
漂揺:ゆらゆらとただよい動く。
【解釈】
腐敗の極まる権力者や機構を一掃して改めんとする。
我が身は何事にもとらわれない自然体の境地にある。
我々が憂国の志をもって決起するからには
丈夫の心情を詠む歌がないことがあろうか(この歌こそがそれである)
六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
【解釈】
これは天の怒りか、地の声か
我らの義憤は、尋常ならざる響きとなって轟きわたる。
国民同胞よ、黎明は近い。永き眠りを終わり、
目覚めよ、共に日本の朝ぼらけを迎えよう。
七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
九天:全天を九個に分けた呼称。中央「釣天」東「蒼天」東南「陽天」南「炎天」西南「朱天」西「昊天」西北「幽天」北「玄天」東北「變天」
四海:四方の海。「東海」「西海」「南海」「北海」
【解釈】
見よ!全天に雲は垂ち込めている
全ての海は荒れ叫んでいる
革新の機は到来した。今がその時であると
吹き荒れる日本の夕嵐までもが表す。
八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
うらぶれかし天地・栄華を誇る塵の世、人栄国滅と同じ。
【解釈】
ああ、うらびれた惨めなる世の中の
人は悟る事無く国を見失い迷いの道を歩んでいる
栄華を誇れども重き誠の無い粉塵の如き腐った世の中に
高楼の眺めなどしていて良いはずが無いではないか。
九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
功名:手柄を立て名を知らすこと
何ぞ:どれほどの価値があると云うのか
【解釈】
人の世の功名などは夢のような物。どれ程の価値があるというのか。
されど、「誠」は決して消え去る事の無い不変のものだ。
人生は損得で動かされるのではなく、意気を感じて(真心によって)動かされるのだ。
その行動をして、誰が成否(成功・失敗)を論ずる事が出来るものか!
十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな
悲歌慷慨:悲しい歌を歌ったり不正に憤慨し怒ったりする事
【解釈】
離想の一悲曲はもう止めよう。
いつまでも悲歌慷慨に浸っていてはならない、その時は過ぎ去ったのだ。
我ら正義の剣が、今こそは
世の腐敗を打倒し、粛清せんと正義の血に高鳴っている。
【自衛隊にエールを送りませんか】・・・続行中です!
平成維新!と思う方→
靖国・近代の戦い
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│2010/03/23(火)15:32
鳩山首相は、外務大臣岡田氏の親族企業の中国展開を気遣ってか「靖国神社には参拝しない」と明言している。
斯様な、姑息な政治手段に利用する首相の靖国参拝など、こっちからお断りである。
私はいつも思っている。
国體を護り、国民を守る為に戦い、そして散って靖国の杜に眠る英霊の方々にとって、
想い、信じ、そして望んでいるのは、そのような参拝ではないと思う。
何であるか?
国體そのものである陛下の御親拝に尽きると考える。
更には、御遺族はもちろんのこと、
ご飯を食べる時に、日本人なら思わず手を合わせる・・・
そんな日本人の自然で心からの感謝の参拝ではないかと思う。
そもそも、慰霊などと言う事自体、非科学的、宗教的行動であり、無宗教の慰霊施設など存在するはずが無い。
下らぬ利権や政権維持のために、参拝するのしないの、挙げ句に代わりに施設を創ろう等と騒ぐ事は、先人達への、そして御英霊の方々への冒涜であり、日本人の魂を失った破廉恥極まりない愚行と考える。
斯様な汚れた政治家達に、靖国神社に参拝などして欲しくないのである。
今の政治家に一番欠けているのは何か?
それは、日本の国體を念頭に置いた国家観と、それを自然に持てるはずの大和魂(やまとごころ)であると断じて間違いなかろう。
そんな政治家を送り出す、国民の方にも大和魂が欠落してきている事は言うまでもない現実である。
今こそ、国民は「自分は日本人である」と言う紛れもない事実に向かい合うべき時である。
我は日本人である!と思う方→
靖国・近代の戦い
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│2009/09/20(日)20:50
玉音放送の日も過ぎ、福岡県護国神社の戦没者慰霊祭も終わり、みたままつりも終わった。
ところで、小学校等の新学期も始まっているはずの、来る9月2日は何の日だったか?
昭和20年、戦艦ミズーリ艦上で、降伏の調印が行われた日である。
ネットで降伏の調印の話を読んでいて、先の8月9日、福岡での「感謝・追悼 英霊顕彰県民の集い」における占部先生の講演を思い出した。
私も常々思っているのだが、歴史を点で見る人が多すぎないだろうか?
所謂、歴史のつまみ食いである。
占部先生は、
歴史は日の単位で見る。
月の単位で見る。
年の単位で見る。
世紀の単位で見る。
それぞれが必要である事を、講演されていた。
宣戦布告と真珠湾攻撃は日単位の話・・・
ハルノートが出てくると月単位・・・等である
私が知らなかったのは、先の大戦の「世紀単位」の話だった。
記録映画「東京裁判」に一瞬映るミズーリ艦上の、調印式典の会場を違う角度で撮った写真を示して、
「そこに飾ってある星条旗は何時の物であるか?」
と言う話であった。
「1853年日本に現れた、ペリー提督の黒船に掲げられていた星条旗」をわざわざ取り寄せて飾った物だった。
何故そのような物を持ち出して飾ったのか?
日本が降伏した日の、ニューヨーク・タイムスの記事が教えてくれる。
ニューヨークタイムスは、「太平洋の覇権を我が手に」と題して、次のような記事を載せた。
『我々は初めてペルリ以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これで中国大陸のマーケットは我々のものになるのだ』
今、中国と手を結ぶアメリカに、日本は必要無くなる?
いや、必要なのだ・・・
金と技術と質の高い労働力を持つ属国として・・・
それでは、あまりに、先人達に申し訳ないと思った。
独立せよ日本!と思う方→

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靖国・近代の戦い
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│2009/08/17(月)14:03
まもなく、福岡縣護國神社の戦没者慰霊式典に参列するために出かけます。
我が家には、半旗を掲揚します。

靖国・近代の戦い
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│2009/08/15(土)08:38
「昭和の日」は29日では無いかという声はあろうが、私の脳内では明日28日なのである。
昭和27(1952)年4月28日、日本は連合国(まあ、主に米国だが)の占領から、外交的・肉体的には解き放たれ再独立を果たした。
私が生まれたのもこの年の夏であるので、占領解放後の日本と私は同い年である。
昭和の時代は、良くも悪くもこの日を境に大きく変わった。
大戦を挟み繁栄と挫折が交互に訪れる激動の時代であった。
「日本」が2千数百年の歴史の中で、唯一独立を失い、そして回復した日でもある。
昭和の時代を象徴する日であり、私は、これ以上「昭和の日」に相応しい日はないと思う。
ちなみに29日は「昭和節」に決まっているのである。
私は色々ご意見はあろうが、4月28日はとりあえず、再独立の部分をもって「国旗」を掲揚している。
外交的・肉体的には解き放たれたが、しかし、精神的・思想的には、GHQによって国体を滅ぼそうとする邪悪な潜伏型の洗脳菌がばら撒かれ、埋め込まれた上での開放であった。
潜伏型であることは、昭和21年2月から始まった昭和天皇の御巡幸を見れば分かる。
ご巡幸を許可したGHQの高官達は、自分達の価値観で思った。
「石のひとつでも投げりゃあいいんだ!」
以下「国際派日本人の情報ファイル」からの引用になるが、
----------
「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね。それが生きた民主主義の教育というものだよ。」
しかし、その結果は高官達の"期待"を裏切るものだった。昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。行程は3万3千キロ、総日数165日。各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。
イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。
「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。
イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか1ヶ月で廃位に追い込まれた。それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか?」
欧米人の常識では理解できないことが起こっていた。
----------
欧米人に分かるはずが無いではないか。
天皇陛下は、地球上に「日本」にしかいないのだから。
そのような「国體(体)」を持った国は「日本」以外に存在しないのだから。
日の本は芙蓉の峰を擁く地に天皇の坐す國かな
しかし、平成の現代に於いてはどうか?
洗脳菌が数十年の潜伏、発症、感染を繰り返した結果があるように思えてならない。
豚インフルエンザも恐ろしいが、潜伏型の洗脳菌はそれとは比較にならない程恐ろしい症状を見せて居るように思えてならない。
引用文の全文を読んでいると、不覚にも画面が曇ってしまった。
日本人は、潜伏型の洗脳菌等に負けてはならないと思った。
洗脳菌等には負けない!と思う方→

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靖国・近代の戦い
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│2009/04/27(月)11:49
メルマガ「台湾の声」に編集長の林建良氏が「激論ムック」に投稿した論説が載っていた。
林建良氏は、私の尊敬する人物のひとりである。
福岡公演で一度だけお会いし、わずかな時間であるがお話をした事がある。
小柄で、一見温和であるが、バイタリティに溢れ、眸の輝きには底知れぬエネルギーを感じた記憶がある。
そうアニメ「巨人の星」で、次回へ続く!の前に、マウンドに立つ星飛雄馬やバッターボックスの花形満の炎の眸が近いか。
論説は、なるほどと納得するものであるが、特に最終章にある「●靖国は日本再生の源泉である」と言う部分には大いに賛同する。
「無抵抗の日本人に代わり、日本の英霊たちが勇敢に日本を守っている。それは中国にとって一番恐れるべき存在である靖国神社においてである。靖国は日本を守ろうとする意志の凝縮であるから、日本に靖国神社が存在しているかぎり、中国は安心できない。」
「逆説的に考えれば、中国が執拗に靖国を攻撃するのは、英霊の魂が宿る靖国が日本精神を再生させる力を秘めていることを、彼等が直感的に知っているからであろう。ずばり言えば、日本再建の鍵は靖国にあるのだ。」
「靖国は国を守る気概の象徴であると同時に、日本民族再生のエネルギーの源にもなるからであ る。そもそも議論をできるだけ避けようとする日本人にとって靖国は議論するための存在ではなく、参拝するための存在なのだ。日本のために、論争はやめて、靖国神社参拝の呼びかけを国民運動として展開する方が、はるかに有益であろう。」
その通りである。
国民の多くが、靖国神社に参拝する事こそが日本再生の道である。
何の論議が必要なのだ?
何の屁理屈が必要なのだ?
今日本に生きる我々が為すべき事は、この国を究極の決断を強いられつつも、一命を賭して護り残してくれた英霊に感謝し、彼らが残したかった国とはどんな国なのか考える事では無いのか?
他国の干渉等に媚びるような次元の問題では無いのだ。
国会で参拝するかしないかと質問するなどは「貴方は日本人かそうでないのか?」と質問しているに等しい。
愚の骨頂、国賊も良い所である。
斯様な連中は、言わば靖国神社の神秘のエネルギーを恐れる中華人民共和国共産党政府の工作員もどきである。
靖国神社のエネルギーは、そのような小手先の工作で減りはしないのである。
そして、参拝する国民の想いの大きさと、その延べ参拝人数の相乗によってドンドン増幅していくのだ。
靖国神社に参拝しよう!
日本再生は、そこから始まると信じる。
靖国参拝こそ再生の道!と思う方→

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靖国・近代の戦い
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│2008/10/08(水)10:10
Nikkansportsによると、中華人民共和国の通信社、中国新聞社がインターネット上で麻生太郎首相に「何を期待するか」(複数回答可)を調査したところ、25日昼時点で回答者数が900人を超え「靖国神社を参拝しない」がトップで89%に上ったそうである。
東京支局(日本語訳版)のサイトの「最新記事100本」の中には、「ミス・ビキニコンテスト」や「広東パンダ祭り」の記事はあっても本記事は見当たらない。
そんな中、インターネットは、規制・監視で雁字搦めになっている中華人民共和国のインターネット上での調査結果を載せた意図は何だろう?
インターネット上と言えばあたかも「広く一般に」とでも言いたそうな表現だが「極一部の共産党員に」が近いのでは無いだろうか?
そこで、麻生太郎首相に「何を期待するか」(複数回答可)!と聞いている訳である。
結果は、
1位:「靖国神社を参拝しない」89%
2位:「『1つの中国』の原則堅持」?%
3位:「中日間の領土、領海問題の解決を促す」?%
4位:「中国脅威論をあおらない」?%
となっているそうである。
他に選択項目はあったのだろうか?
いずれにせよ、これは中華人民共和国共産党政府が、ネットと言う小道具を使い、アンケートと言う儀式を行い、日本の隷属マスコミに流させた「メッセージ」である事に相違あるまい。
安倍政権の時に靖国神社参拝に関して、総理が「どっちとも言わない」で通したことは、中華人民共和国にとっては非常に困った事であったらしい。
恐らく中華人民共和国共産党政府は国内向けに「日本は先の大戦を反省している証として靖国神社参拝を行わない」というような事を流しているのではないか?
他国の首相への要望の一位に回答率89%で「戦没者慰霊施設へ参拝するな」等と言うこと事態異常な国である。
見方を変えれば、中華人民共和国は「靖国カード」を先に見せた(復活させた)のである。
受けねばなるまい。
麻生首相には「どっちとも言わない!」で例大祭に現れて欲しかったが、こうなれば先に「参拝する」と受けるべきではないだろうか?
問題になればそれで良し。
本当に問題があるならば、何が問題なのかをはっきりさせれば良いではないか?
そもそも、終戦当時、この世に存在していなかった中華人民共和国等にとやかく言われる筋合いは無いのである。
大きなお世話だ!と思う方→

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靖国・近代の戦い
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│2008/09/26(金)16:19
日経新聞によると、自民党総裁選に出馬している五人の候補者が「A級戦犯の分祀で一致」したとの見出しである。
記事から発言を抜粋すると、
石破氏「戦争に行けと言った側と、それを信じてお国のために行った側とは(立場が)全く違う」
石原氏「外国の元首が戦没者に手を合わせられる場所に変えていただきたい。戦争指導者と赤紙で召集された側は違う」
小池氏・与謝野氏「分祀をして天皇陛下や皇族も参拝できる環境づくりが必要だ」
与謝野氏「国家の慰霊行事を日本武道館という借りた会場でやるのは残念だ」
麻生氏「この(重要な)話を一宗教法人に丸投げし、国が逃げていることが問題だ」
私は「国土と天皇が坐して『国(日本)』」だと考えている。
国在りて民あり
民在りて社会あり
社会在りて秩序あり
秩序ありて政府あり
そういう風に思っている。
靖国神社に鎮まる英霊は、政府の為に戦ったのでは無いと思っている。
自らが在る『国』の為に戦ったのだ。
「政府」も「国民」も『国』の為に戦ったのだ。
石破氏も石原氏も「国家感」が無いからマスコミの言葉遊びに載せられて、英霊を冒涜している事に気付かないのだ。
小池氏や与謝野氏の「天皇陛下や皇族も参拝できる環境づくりが必要だ」と言うのは大いに賛成できるが、それを「分祀」すれば為ると本気で思っているならば石破氏や石原氏と同じである。
麻生氏は「この(重要な)話を一宗教法人に丸投げし、国が逃げていることが問題だ」と言っているが同感である。
麻生氏は自身のHPで「靖国に弥栄(いやさか)あれ」と言う論文を掲載しているが、書き出しには以下の様に書いてある。
「靖国神社に関わる議論が盛んです。特定の人物を挙げ、「分祀」の必要を言う人があります。国会議員にそれを主張する人が少なくありません。わたしに言わせれば、これは根や幹から問題を見ようとしない、倒錯した発想によるものです。」
私には五人に共通の認識は無いように思えるが、例のメモを報道した日経新聞にすれば「A級戦犯の分祀で一致」となるらしい。
因みに、私は昭和殉難者「分祀(分霊)」は賛成である。
分霊しても、靖国神社に御霊が残る事に相違ないからである。
そもそも殆どの英霊は各出身地の「護國神社」に分霊されているはずである。
昭和殉難者は、ポツダム宣言の後武器を持たずに戦ったとも言える方々であり、軍人だけではない等の特殊性がある。
従って、この方々を決して忘れる事の無い様に、特に昭和殉難者の御霊を分霊する神社を建立する事も意味があると思う。
何はともあれ、国家の宰相を狙おうかと言う人間が、「国家感」もなく、マスコミに迎合して言葉遊びをする為に「英霊」を利用するような事は断じて許せない。
国家感の無い宰相等いらぬ!と思う方→

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靖国・近代の戦い
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│2008/09/16(火)10:52
今年も八月十五日が近づいてきた。
靖国神社が騒がしくなる日でもある。
先月行った「みたままつり」の「にぎわい」ではなく「騒がしくなる」のである。
先日(8月10日)福岡で開催された『追悼・感謝 英霊顕彰・県民の集い』に参加してきた。
来賓の議員の「代理」が居並ぶ中、衛藤晟一参議院議員は本人が出席され、例の「学校行事での靖国神社及び主として太平洋戦争の戦没者を祀る寺社仏閣への参拝禁止」の通達の無効が確認された件の報告を含め挨拶された。
衛藤議員によると、本件質問時に口頭回答は得たが、後に平沼赳夫議員によって質問趣意書として文書による再質問を行い「質問主意書とその回答」と言う形で文書化されたそうである。
その「質問主意書とその回答」は、平成20年6月30日から7月11日まで、東京、神戸、福岡において、都道府県及び政令指定都市の教育長、指導主事(合計約1100名)を対象に開催された「平成20年度 小学校新教育課程説明会」に於いて配布された資料のうち、修学旅行や野外研修を対象とする「特別活動部会」用資料に添付され、今回、昭和24年通達のうち、「靖国神社や護国神社に学校行事として訪問を禁じた」一節の失効が確認された経緯が文部科学省から説明されたとの事である。
◇質問主意書とその答弁書の全文↓
http://www.nipponkaigi.org/0000/data-news200528.html
『追悼・感謝 英霊顕彰・県民の集い』で基調講演をしていただいたのは、ここの読者はご存じの方も多いと思うが、亜細亜大学教授で、日本「南京」学会会長の東中野修道氏であった。
当然に話は「南京」であり、英霊を侮辱する捏造プロパガンダ『南京30万大虐殺』をスライドやプリントを使い、時におもしろおかしく粉砕して頂いた。
東中野氏の写真検証等で「インチキ」がばれた「有名な写真」のいくつかは、例の「大記念館」から撤去されたり、キャプションが消えたりしているそうである。
著書も販売していたので2冊買い求めた。
公演後サインもして頂いたが、サイン会の前に主催側の担当者と休息されている時に、担当者が席を外した隙を見計らい、挨拶、自己紹介、名刺交換をさせて頂いた。
ほんのわずかな時間の会話であったが、おっとりした中にやはり、強い意志を感じる方であった。
私の中での「南京」が「国旗」「国歌」「靖国神社」と共に確立される機会になったように思う。
福岡では、今日13日から15日まで「福岡縣護國神社」で、靖国神社から一月遅れの「みたままつり」が開催される。
日が日だけに、ご遺族等も多く、靖国神社とはまた違った風情である。
こちらにも献灯させていただいているので、期間中の日中と日没後、それぞれ確認がてら参拝する予定である。
福岡は旧盆である。
英霊はもちろんの事、我らが父祖の思いをじっくりと考える機会である。
うるさいのは「蝉の声」だけにしてもらいたい。
今我らあるは英霊のおかげ!と思う方→

靖国・近代の戦い
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│2008/08/13(水)12:00
毎日新聞によれば、東郷神社前宮司の松橋暉男氏が、来月出版する著書「幻の揮毫(きごう)」(毎日ワンズ)で、神社関係者では異例の「A級戦犯受け入れ」提言を行うそうである。
最初にニュースを聞いたときには、天皇陛下の靖國神社御親拝一瞬妙案かと思った。
ところが、その理由を聞いてあきれ果てた。
『中国などにも「誠意ある対応をしたことになる。靖国参拝のカードは有効でなくなる」ため、外交問題を沈静化できるという。』という。
たわけ者!と言いたい。
今カードは両刃のまま有効な状態なのだ。
「靖国参拝」で安倍元首相
(当初阿部元首相と記述しており、読書の方にご指摘頂きました。ありがとうございました。深くお詫びし訂正させて頂きます。)
が「何も言わなかった」事がどれだけ中国を悩ませたか考えれば、その重さは分かるではないか。それを自ら放棄する等は国賊物である。
斯様なことは、中国に対して、所謂「A級戦犯」を犯罪者と認め、延いては、幻の「南京の大虐殺」をも認め、以後中国の言うが勝ちを助長するだけではないか?
『靖国参拝のカードは有効でなくなる』様にするには、天皇陛下の靖国神社御親拝を、日本国民がこぞって願う環境を作る事だ。中国がこれを言い出せば日本国民が一丸となって反発し、政府が強行に「内政干渉許さじ」と言えるようになることではないのか。
痴漢冤罪をやらかす馬鹿娘達が、冤罪被害者に示談金を出させ、甘い汁を吸う。
やっていなければ裁判をしてでもと言うのは理ではあるが、被害者にも事情があり対価受益を考えもしよう。しかし、馬鹿娘達は味をしめて、またやらかすのである。
そして、要求は「もっと」「もっと」と益々エスカレートする。
日本は、戦後止むに止まれず、冤罪を認めずも、判決には従い7名もの命を差し出した。
中国に媚びるな!と思う方→
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靖国・近代の戦い
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│2008/05/26(月)00:21
先般、靖國神社で老人が中国人に襲われた事件があったが、襲われたのは元日本陸軍憲兵伍長、開勇(ひらき・いさむ)氏であった。

氏は、毎月15日には上の写真の様な軍服姿で靖国神社を詣で、亡き戦友たちの慰霊を行っており、事件当日もその様に参拝した所を襲われたとの事である。
そして、不意を突いて国旗を奪取された氏は同行のカメラマンと共に、国旗を奪還せんと暴漢と闘っていたのだ。
傘寿を過ぎたご老人の行動である。
氏は「チャンネル桜」に、その軍服姿で出演され、事件の顛末を語っておられる。
日本人は、政府閣僚も役人も、氏の矍鑠たる姿を、是非その目で見て頂きたいものである。
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靖国・近代の戦い
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│2008/02/02(土)15:39
先般、靖國神社で起こった、中国人による、老人に対する「強盗傷害」事件で、犯人が中国内で英雄扱いになっているようである。
中国人の民族性、民度等から考えれば、まあ,さもあらんかなで驚くに値しない。
問題は、この「英雄の所業」に対する日本政府の対応である。
警察は今のところ「器物破損」程度で済まし、起訴猶予で送り返そうとしているのではないか?
持ち物を奪い、一緒にいた方を殴る蹴るしている以上「強盗傷害」だと思うが、それよりも、その所業と場所が大問題であろう。
仮にこれが、南京のプロパ記念館の前であれば「自己責任」もあろうが、それでも政府は邦人を保護する責任があり外国政府と交渉せねばなるまい。
しかるに、場所は日本の首都東京、皇居の庭先、護国の英霊のおわす「靖國神社」である。
しかも、被害者は傘寿をも越えておられたというご老人ではないか。
あまつさえ、外国に来てその国の国旗を踏みつけると言う暴挙である。
日本で無ければ、この中国人は、生命の危機に陥っているであろう。
日本の刑法には、外国旗に対する冒涜は規定があるが、自国日章旗にはない。
斯様な事は、刑法に規定するまでもなく「お天道様」にツバする所業だからである。
本件は、産経以外の多くのマスコミは秘匿に躍起である。
正に「国を憂うる誠無く、社稷を思う心無し」である。
この中国人は、中国の自動車産業では影響力の大きい人間らしが、嘆かわしいかな日本人にもこの中国人の支援を企む不届者が居るという。
当然中国政府との何らかの話があろうが、政府には毅然とした態度を取って貰いたい。
中国に媚びていれば、安穏としていられる等と考えていては、大事を招きかねない。
日本政府は国内の治安にも責任を持つはずである。
斯様な中国人の「挑発行為」は、ただでさえ、沸々悶々としている「憂国の士」の予期せぬ決起を誘う可能性があることも考えねばならぬであろう。
そんな事になれば、それこそ国際問題であり一大事である。
北京五輪も近いのだから、政府は中国政府に対し「日本まで来て斯様な事なれば、邦人の安全上、北京五輪からは手を引く」位の事は言って良い。
そして、斯様な跳ねっ返りの輩が起こす騒ぎは、御英霊の安眠妨害でもある。
邪心を持って「靖國神社」の境内に入るなど罷り成らん!
よって以後、例外なく中国人の靖國神社敷地内への立ち入りは問答無用で禁止して頂きたいと思う。
中国要人が「参拝」する事も無いのだから例外は不要であろう。
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靖国・近代の戦い
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│2008/01/29(火)17:01
南京については、多くの史料が出回り、学者、研究者が、書籍、資料、ブログ入り乱れて論戦が行われている問題である。
特に、私のような素人にとって、本文もさることながら、資料や書籍の紹介をして頂いている多くのサイトやブログには、尊敬と感謝の念を抱かずには居られない。
これまで、まだまだではある物の、多少の資料・書物・サイト等を見ていて、未だ腑に落ちない物がある。
歴史の研究とプロパガンダの取扱がどうもごっちゃに見えてしかたがないのである。
表題の件は紛れもなく中国の宣伝戦争の弾頭の一つに違いなかろう。
私も技術屋の端くれなので、議論には言葉の定義が同義である必要があると思っているが、これが多くの資料などで、結構ぼやけている。
で、この記事ではまず、中国要人の発言などから定義をしてみる。
・「南京」
南京城内とその城壁周辺の外側のエリアである。
周辺の地域を含めばもっと人数は増えると言っている事からも恐らく相違ないであろう。
・「30万人」
例のプロパガンダ記念館には「300,000人」と表記されているが、算数や統計、計測で言う有効数字から言うと、単位を「人」に取った場合、
300,000 = 299,995以上 300,005未満
であり、こんな精度の数字ではあり得ないと思われるので、これは桁を誇張する表記に過ぎないであろう。
単位を「万人」に取れば、
30 = 29.5以上 30.5未満(29万5千人以上 30万5千人未満)
であり、これもかなりの精度であり、範囲が狭すぎる。
単位を「10万人」に取ると、論議の範疇に入ってきそうである。
30 = 25以上 34未満(25万人以上 35万人未満)
となり、言わんとする範囲はこの辺りであろう。
・「大虐殺」
「大」は印象操作用の接頭語なので取りあえず無視しても「虐殺」とは何ぞや?
事は戦争中と見なされるので、戦時国際法なる言葉が頻繁に出てくるが、戦時国際法なる「法律」等は存在せず、基本的に「条約」の集積である。法律であれば全ての対象に「法律」の網を被せ、中立の立場にある「権威」がこれを監視したり裁いたりする事ができるが、「条約」は読んで字の如く「一条の糸を両端で均等且つ切れない様な力で引っ張り合っている」様な物であるので、どちらか一方が力加減を変えれば成立しない代物である。
まして、戦争自体人権の最大の物である「生存権」を奪う事を「可」どころか「誉」とする、今の世から見れば異常な世界での出来事である。
その、戦争の最中にあって尚「虐殺」とは如何なる物を言うのであろうか?
少なくとも、機能が怪しいとは言え「戦時国際法」に違反している事は必要と考えるのが妥当ではないか。
次に「国内法や軍規」にさえ触れる「犯罪」であろう。
であれば、殺害の対象は「非戦闘市民(正当な捕虜も含む)」であり、
・全く無抵抗の捕虜を理由無く殺害した。
・安全区等の非戦闘住民を理由無く殺害した。
・非戦闘員を強姦し殺害した。
・民家に強盗や放火を下挙げ句住民を殺害した。
この様な事例を差すと思われる。
従って中国の主張は、斯様な殺害が南京城内と城壁周辺の外側エリアで25万人以上35万人未満の規模で行われたと言う事だ。
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靖国・近代の戦い
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│2007/12/17(月)16:55
「慰安婦」に関して、今度は欧州議会でも謝罪要求の動きが活発になっているが、いったい誰が誰に謝罪するというのか?
以下の記事で、証言されている伊藤さんが仰るように、慰安婦問題を性奴隷だ何だとが騒ぐ根本には、娼婦を醜業、賤業と見ているからではないのか?
だから、強制連行されたことにしなければ不味い。いや、自分たちの価値観でそうすることが元慰安婦を救うことだと勝手に思っているのではないか?

拉孟の慰安婦の時も書いたが、彼女達はプロであり、戦場にあってもそのプロ魂を貫いた方も多かったのではないか?
恐らく当時でも、違法でもなく正業であるにも拘わらずそのように蔑まれて見られていた事は想像に難くない。
そうであれば尚のこと、彼女達にだって生きるため正業としてのプライドがあれば、意地でも、看護婦やたまに訪れる慰問団以上に、お国の為兵隊の為に、他の人に出来ない仕事をこなそうとした方々も多かったのでは無いかと推察する。
もしそうであれば、強制連行されて性奴隷にされた等というのは、彼女達の誇りと名誉を著しく阻害する物ではないか?
今の勝手な価値観で押し売りの人権ごっこをする事が、生死を賭けて戦ってきた先人の誇りを傷つける事があろう事に何故目を向けない!
いい加減止めて頂きたい。
拉孟の時にも書いたが、彼女達は兵隊と一緒に「戦っていた」と思う。
従軍慰安婦という言葉が使えなかった事の背景の一つに、娼婦を蔑んで見る世情があったのであろう。
私は、「従軍慰安婦」と言う言葉は、その働きからすれば、軍属と同等に戦地で「慰安婦」という仕事を勤め上げた彼女達にこそ使われるべき「敬称」だと思っている。
決して「性奴隷」等の代名詞ではないし、戦地に散った「従軍慰安婦」の方々は、準軍属として靖國神社に祀られて然るべき存在だと思っている。
私の思う「従軍慰安婦」の方々に謝罪すべきは、本来の人権を蔑ろにし、人の心を踏みにじり、あまつさえそれを金儲けに移用しようとする「人非人の人権屋」!
あんた達の方だよ!
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靖国・近代の戦い
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│2007/12/17(月)10:51
来たる12月6日、九段会館において、「南京事件の真実を検証する会」の主催する「南京陥落 70年 国民の集い」が催されるそうだ。
私は、残念ながら行くことが出来ないが、近隣にお住いの方、都合の付く方は是非おいで頂きたい。
_/_/_/_/_/▼台湾の声より引用▼_/_/_/_/_/
「南京陥落 70年 国民の集い」
『参戦勇士の語る“南京事件”の真実』
と き 12月6日(木曜日) 午後六時(五時半開場)
ところ 九段会館大ホール
会場分担金 1000円
プログラム 映画「南京の真実」予告編。およびスライド上映。
序論解説と概論 加瀬英明
司会と解説 冨澤繁信、藤岡信勝
本論(それぞれ、その現場にいた生存兵士が証言します)
(1)雨花台の激戦(生存兵士が証言します。以下も同じ)
(2)南京入城
(3)兵士達がみた南京城内
(4)難民区の模様
(5)南京事件の個人的意見
(6)その他。
終幕で国会議員来賓の感想(与野党から代表一名を予定)、
主催 「南京事件の真実を検証する会」
(加瀬英明会長、藤岡信勝事務局長、杉原誠四郎、冨澤繁信、茂木弘道、高池勝彦、東中野修道、高山正之、宮崎正弘、花岡信昭、西村幸祐ほか)。
このイベントはおそらく生存者としても、最後に機会になるでしょう。
歴史への真実の証言をわれわれは聞いておく必要があり、今後、中国における反日記念館の不当な展示撤去、歴史教科書の不適切な記述削除をもとめる国民運動を、いよいよ日本の外交のトップに据えるキャンペーンが切って落とされる記念すべき催しになるでしょう。
_/_/_/_/_/▲_引用ここまで▲_/_/_/_/_/
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│2007/11/29(木)13:35
以前から、一部では?有名な少年の写真がある。
終戦直後、被爆地長崎で、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏が撮影した物である。

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│2007/11/12(月)11:51
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