まずは子に義務と責任教え込むこれが子を持つ親の道かな
愛媛県今治市で、小学校の校庭から飛び出たサッカーボールをオートバイの80歳代男性が避けようとして転倒、その際のけがが原因で死亡した事故があったそうです。
この事故を巡り、大阪府内の遺族が訴えた民事訴訟で、大阪地裁がボールを蹴った当時小学5年の少年(19)の過失を認め、両親に約1,500万円の賠償を命じた判決が下されました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110708-OYT1T00149.htm
この件について、金額が高すぎるとか、学校や市を相手に訴訟しないのは胡散臭いとか、いろいろな意見があるようです。
私なりに感じた事を書いてみます。
少年側は「校庭でボールを使って遊ぶのは自然なこと」と主張しているそうです。
私もそう思います。
しかし、今回争われたのは、その自然な(と少年側が主張している)事をやった結果の責任についてです。
こういう言い回しは、子供の権利ばかりを主張する人権派が良く使いますが、「自然な事」と「結果の責任」は別問題です。
人間社会や法治国家では「自然な事」なら何をやっても良いと言う事はありません。
大人が何も言わなければ、子供の事ですから、ボールを外に蹴り出して、車や人がどんな反応するかと言ういたずらもある意味自然な事でしょう。
今回は「故意に蹴り出した」とはなっていないようなので「過失」の話です。
「自然な事」を否定しているわけではなく「結果責任」を問うています。
私が小さい頃、路地でボール蹴りして遊ぶのは自然な事で、みんなしていましたが、だからと言って、他所の住宅のガラスを割って「子供のやった事だから」責任無し!とはならないし、親に謝りに連れて行かれ謝り、親がガラスを弁償しました。
ガラスで済んだのは幸運だったのかも知れませんが、これは、人の親として自然と言うか当然のことではないのでしょうか?
>「蹴り方次第でボールが道路に飛び出し、事故が起きることを予見できた。」
・この根拠が争点の一つでしょう。
子供にそんな事が分かるはずが無い!と言う方もあるようですが、生まれたての赤子ではありません。
今までに当該児童の蹴ったボールが道路に出た事がある。
当該児童でなくても、そういう事が過去にあった。
過去に実例が無くとも、学校や親や学校には、当然予見できた。
予見できれば、子供に教え注意するのは大人の当然の義務である。
だから、子供も危険性を知っていたと言う事だと解釈します。
フェンスの高さや指導等、学校側の過失があるならば、この点は被告側からでも学校を訴えることが出きるのではないでしょうか?
今回、原告が児童と親に限定して訴訟するに至った理由を、私なりの経験と、もしも私の親族が被害者だったら・・・等と考えて推測してみました。
事実関係が分かりませんので、あくまで推測です。
一つに、何故訴訟まで縺れ込んだのか?
加害者側の事故後の対応に問題があったのか、被害者側が法外な要求をしたのかは定かではありません。
少年側の主張「自然な事!」と言う主張を見る限り、被告側に反省や謝罪の気持ちは感じられません。
被告側に「子供のやった事だから!」で責任から逃れようという気持ちは無かったのでしょうか?
親が自らの躾と注意不足を謙虚に詫び、誠心誠意謝罪してなお、和解に至る事が出来なかったのでしょうか?
私は、その辺の意思疎通と言うか人としての手段を尽くしていれば、少なくとも訴訟にまでは至らず和解できた可能性があるのではないかと勝手に想像しています。
被害者の死亡との因果関係は専門化の判断に任せますが、読む限り蹴ったボールによってバイクが転倒するに至ったと言う事実関係は明白なようです。
であれば、少なくとも転倒させた過失責任(事故扱いなので故意ではないとして)は免れません。
遺族側が「少年側の責任は明らか。学校の責任を問うことで争点を増やし、審理が長期化するのは避けたい」として学校や自治体を相手にせずに、個別に主たる加害者に絞って損害賠償を請求するのは、特に民事では誰に非難される事でも無い常套手段だと思います。
子供が誤って人に危害を加えたら、親が責任を取るのは当然です。
この読売新聞の記事は「校庭ボール遊び、なぜ小5少年側に高額賠償命令」と題を付けていますが、事故との因果関係が証明されたからでしょう?
「高額」かどうかは、人ひとり死亡している損害賠償での司直の判断であり、ここに新聞の意見を入れるなら、何を根拠に「高額」と認識するのか示して頂きたいと思います。
また「小5少年側」と書く事で、あたかも原告が「子供のやった事に其処まで・・」と言う印象を与えようとしているように思えてなりません。
真実は「神のみぞ知る」でしょうが、「子供の権利」を叫ぶ前に子供に「義務と責任」を叩き込む事が如何に重要な事か、現在社会では如何にそれが為されて無いか、ふと感じた事件であり訴訟でした。
(トノゴジラ)
目覚めよ国民!と思う方→
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